- はじまり
- 日の出前のアレイからすこじま
- 巡洋艦青葉終焉之地訪問
- 音戸の瀬戸公園(高烏台展望台)訪問
- 第二音戸大橋で倉橋島へ
- 音戸の渡しで海峡を渡る
- 再び アレイからすこじま
- 歴史の見える丘訪問
- 再び大和ミュージアム
はじまり
その夜は、呉駅前のホテルで宿泊しました。
サイクルウエアの洗濯などをし、就寝は深夜0時を回ったのですが、午前5時にはバッチリ目が覚めました。
普段から午前5時起きなのですが、前日午前3時に起床その後、15時間ほどライドを続けたわけですが、普通に起きることができました。
旅先の高揚感ですかね。
ロードバイクをホテルの外へ運び出し、大和ミュージアムまで移動。
早朝ライドのスタートです。
日の出前のアレイからすこじま
大和ミュージアムからは3㎞ほどで、最初の目的地「アレイからすこじま」に到着するのですが、日曜日の午前5時台にもかかわらず、ビュンビュン車が通るので、とても気を使いました。
日の出前の護衛艦・潜水艦を見ることができました。
壮観です!!
続々と、自衛官らしき方々が通られます。
皆さんガタイがいいのですよね。
さて、次なる目的地に向かいます。
日新製鋼呉製鉄所(呉海軍工廠)の東側の道路を通り、呉市警固屋方面へ。
巡洋艦青葉終焉之地訪問
「この世界の片隅に」の終盤に登場した「巡洋艦青葉終焉之地」を訪問します。
印象としては、当然海際だろうということで、国道487号線の側道の歩道を進んだのですが、見当たりません。
(写真は呉側を振り返っています。)
警固屋高架僑下交差点で案内を見つけました。200mほど戻ります。
ひっそりと佇んでいました。
音戸の瀬戸公園(高烏台展望台)訪問
さて、「巡洋艦青葉終焉之地」から程なく、倉橋島に渡るための赤い音戸大橋が見えました。
音戸大橋を渡るために、短いですが急な坂を上ります。
上り切ったところで、高烏台・音戸の瀬戸公園の案内がありましたので、そこへ行くことにしました。
このような道から、さらに山道を突き進んで行くと
高烏台公園(たかがらすだいこうえん)に到着。
まだ先に上る道があります。
開けた場所に到着。
旧高烏砲台兵舎跡
詳しい記録は残されていないとのことです。
高烏台から瀬戸内海を望みます。
天気が良ければ、松山まで見えるそうなのですが、この日は残念でした。
こちらは、呉方面。
日新製鋼呉製鉄所が見えますね。
これから渡る第二音戸大橋も眺めることができました。
音戸の瀬戸公園から少し下った場所。
呉市見晴地区のようです。
「この世界の片隅に」にも出てきたような段々畑が見えます。
第二音戸大橋で倉橋島へ
警固屋音戸バイパスの歩道を通り、第二音戸大橋を渡ります。
第二音戸大橋から警固屋の町を見下ろせます。
その先の製鉄所
第二音戸大橋を倉橋島に渡ると、「ひまねきテラス」という休憩所があります。
ひまねきテラスから江田島を望みます。次は走りに行こう!!
海岸線に下りるために、途中の集落へ下る細い道を進みます。
このままバイパスを進んでもすぐに海岸線へ下りることは出来たようですが。。。
国道487号線の音戸漁港に下りてきました。
ちゃんとして調べしておけば、コンクリート船や、旧戦艦伊勢日向浮揚解撒記念碑を見落とすこともなかったのですが、、、、下調べし無さすぎ!!
第二音戸大橋をくぐり抜けて
音戸の渡しで海峡を渡る
今回の早朝ライドの目的である、音戸の渡し乗り場に到着。
自転車で渡る場合の運賃150円と、せっかくの記念に海峡横断証明書を100円で購入しておきました。
目の前に停泊していた渡し船に乗り込み
数分で対岸に到着です。
おもいっきりワンワンとワンチャンが送り出してくれました。
再び アレイからすこじま
明るくなった「アレイからすこじま」
潜水艦の真正面に自衛官の方がぞれぞれ屹立されています。
午前8時になりましたので、アレイからすこじまの道路向かいの港町珈琲店がオープンしましたので、ぞくぞくとお客さんが入ります。
僕も入店しテラス席で、モーニングをいただきました。
隣にある海上自衛隊教育訓練隊からは、ラッパの音が聞こえてきたり、停泊中の潜水艦からかな?汽笛が聞こえてきました。
練習艦「せとゆき」と「やまゆき」
阪神基地隊で出会いましたね。
と思ったら、「しまゆき」だった。
歴史の見える丘訪問
護衛艦の見学を楽しみ呉市内に戻る途中、ふと丘の上に「歴史のみえる丘」という案内がありました。
なんじゃろ?と立ち止まり訪問してみます。
国道487号線脇の歩道に上がり、横断歩道で一段と高い場所へ移動しました。
歴史の見える丘
軍港都市から平和産業都市としての道を歩んだ、明治以降の呉の歴史が一望できる場所として、1982(昭和57)年に完成しました。
この丘からは、「旧呉鎮守府庁舎(現:海上自衛隊呉地方総監部庁舎)」や呉で造られた戦艦「大和」を建造したドックの上屋を眺めることができます。
現在、ドックは埋め立てられ、上屋(骨組みは当時のまま)だけが残っています。また、大和の主砲徹甲弾や造船船渠記念碑、正岡子規の句碑などもあります。~呉市Websiteより~
造船船渠(せんきょ)記念碑
戦艦・大和をはじめ、時代を代表する商船を数多く建造した旧呉海軍工廠造船船渠(ドック)が埋め立てられることになり、ドックの壁石を使ってドックの底に下りる階段を再現したものです。~呉市Websiteより~
噫(ああ)戦艦大和塔
戦艦大和を建造した旧呉海軍工廠(こうしょう)を望むこの地に、1969(昭和44)年の第30回大和進水日(8月8日)を記念して呉大和会により建てられました。大和の艦橋をかたどった塔で、主砲徹甲弾(てっこうだん)も展示されています。~呉市Websiteより~
戦艦大和を建造したドックの上屋
戦艦大和を建造したドックは、ジャパンマリンユナイテッドで現役船渠として使用されているそうです。
旧呉海軍鎮守府庁舎、現在の海上自衛隊呉地方総監部庁舎があったのですが、下り坂の途中のため通り過ぎてしまいました。
再び大和ミュージアム
スタート地点の大和ミュージアムに戻ってきました。
午前9時のミュージアムオープンを待って、呉市内のスタンプラリーに向かいます。